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過労死が怖い理由 その4 後始末
Tue.08.05.2012 Posted in 過労死
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兄の葬儀は、ほとんど社葬に近いものでした。
さすがは超有名企業だと思いました。数百人もの社員の方々が、マイクロバスを仕立てて参列してくれました。
葬儀の仕切りは、全て人事部や総務部の人たちが完璧にやってくれました。
私や両親、親族らは、兄の勤務先に感謝こそすれ、恨む気持ちは全く起こりませんでした。

年を取ってすれっからしになった今の私が、タイムスリップしてこの葬儀に居合わせたとすれば、
『さすがに大企業は”上手”だ』
と感心したことでしょう。

今の時代だと、兄の死は、過労死として裁判沙汰になってもおかしくない。
おそらく兄の会社もそのあたりを考えたのだと思います。
葬儀を完璧にしてあげるなど、遺族の非難をかわして穏便に済ませるための社内マニュアルがあるのでしょう。
そのあたりの対応を少しでも間違え、たとえわずかでも遺族の心にクエスチョンマークを付けてしまうと、有名企業だけに相当なリスクとなってしまうのでしょう。


後日、私と母は、兄の勤務先に挨拶に行きました。
母は、
『まだ何のお役にも立っていないのに、こんなことになってすみません、ご迷惑をおかけして本当にすみません』
と、泣きながら繰り返しました。
兄の上長や、そのまた上の偉い人たちは、
『**君は入社して間もないのに頑張り屋で責任感の強い社員でした。私たちも本当に残念に思います』
と言っていました。

ですが、そこにはどことなくひんやりした空気が漂っているような気がしました。
正直に言うと、上長や偉い人たちの言葉は、なんとなく表面をなぞっているように思えていました。

- 本当に残念だと思うのなら、強制残業とか飲み会とかは止めるの?
- そういうのって、本当にに必要なことだったの?

そうは思ったものの、その頃の私は、自分の考えをはっきりした言葉で、かつ失礼の無いように伝える技術は持ち合わせていませんでした。
『やっぱりそんなこと言ったら失礼かも・・葬儀ではせっかく良くしてくれたんだから・・』

そう思って、自分の心に芽生えた疑問を飲み込んでしましました。


ですがそれ以来、長時間の残業や頻繁な出張などで体が疲れたとき、必ず兄の死を思い出すのでした。
『死ぬ前の兄は、もっときつかったのだろうか?』
『だとすれば、なんであの日、午後も兄を休ませてあげなかったんだ!?』
『自分が憂さ晴らししたいって、疲れた兄を引きずり回して!!自分はなんて人でなしなんだ!!!』
『自分は、兄の死の罪を背負って、もっともっときつい思いをして過労死しなければならないんだ』
いつもそんな考えが頭をよぎっていました。

その反面、長時間労働がきつい、いやだ、休みたい、と、心身の不調を盾に訴えている自分も、確かにいました。
そのことを会社に咎められ責められることを恨みに思っている自分も。

どちらが正しいのか、私はどうすべきなのか。

自分が引き裂かれそうでした。
今にして思えば、その『引き裂かれ感』も、鬱の原因だったのかもしれません。




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過労死が怖い理由 その3 兄が死んだ
Tue.08.05.2012 Posted in 過労死
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翌年、兄は他の部署へ異動しました。

新しい部署は前の部署と違い、残業はそれほど厳しくなくて、チームワーク重視のところだと兄は言っていました。
帰宅時間も、前の職場ほど遅くなることもないとも聞きました。
新しい職場のほうが、兄の性格によく合っていると思い、私は嬉しく思いました。

しかし兄は、入社2年目にして異動した自分を不甲斐ないと感じていたようでした。
新しい職場は、確かに役職者や上長たちが揃って遅くまで残業する職場ではありませんでした。
しかし兄はどこか引け目を感じていたのか、朝は誰よりも早く、夜も遅くまで職場にいました。
『兄ちゃん、マイペースでやったら?最初から力まないほうがいいって』
私はそう言うしかありませんでした。
兄も『そうだね、気を付けるよ』と生返事をするしかありませんでした。

私たちが社会に出てから2年目の夏がやってきました。

ボーナスが出た後、私はまた嫌味を言われました。
黙って受け流したのですが、家に帰って少し悲しくなりました。
ちょうど金曜日だったので、帰宅した兄に、
『兄ちゃん、明日どっか遊びに行かない?』
と持ちかけました。
兄も賛成してくれました。
『そうだね、たまにはいいか』

土曜日。
その日は朝からよく晴れ、熱く乾いた風が吹く日でした。
11時ころ起きた私たちは、午後から遊びに行くことにしました。
その前に腹ごしらえをしようと思いました。
起き上がって物憂げにタバコを燻らす兄。
私は久々に兄と出かけることが嬉しくて、はしゃいでいました。

『兄ちゃん、味噌ラーメンにする?それか、醤油ラーメン?』
『どちらでもいいよ、任せる』

それが私と兄との最後の会話でした。



5分ほどして、お湯が沸きました。
再び、兄に声をかけたとき、兄の呼吸はすでに止まっていました。



救急車が来るまでの時間が、永遠のものに感じられました。

蘇生処置を施す救急病院の先生の額から、飛び散る汗の粒。
『ご臨終です』の声がやけに遠くから聞こえる気がして、それでも深々と頭を下げた自分の姿。
病院の窓から見えた、風に揺れて夏の日に輝く緑の眩しさ。


通夜から葬儀、そして火葬の瞬間まで、私は信じていました。
兄が、
『な~んちゃって!』
と、がばっと起き上がり、
『ほんとにオマエはすぐに騙されるねぇ~』
と、いつものように笑うところを。


ですがついに、兄が起き上がることはありませんでした。


過労死が怖い理由 その2
Wed.22.12.2010 Posted in 過労死
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一方私のほうは、入社してすぐ、職場(今の会社です)に違和感を感じ、うまく馴染めずに毎日泣きそうな思いをしていました。
大卒ですので初任給が他の若手社員より少し高かったこと、にもかかわらず、大学での専攻の関係とはいえ配属先が分析などの軽作業部門だったことなどについて、現場の社員たちから毎日のように嫌味や小言を言われていました。

それで時々兄に愚痴ったりワガママを言う日もありました。
今にして思えば、兄のことなど深く思いやりもせず、自分のことだけしか見えていなかったのです。

入社して夏のボーナスをもらった後、勤続3~4年くらいの現場の若手社員たち7名が、一斉に辞める事件が起きました。
彼らの上長たちがびっくりして理由を聞いたところ、
『3K職場が嫌になった』。
ただ、そのうちの一人が
『今年入った新人は軽作業しかしていない、なのに勤務年数の長い自分たちよりも月給が高いのはおかしい』
とこぼしたそうです。

私の上長にもそのことが伝わり、彼がすごい勢いで飛んできて、顔を真っ赤にして怒鳴りました。
『お前なんか雇ってやったせいで7人も辞めたんだよ!
知ってんのかおい!
お前なんか存在自体が迷惑なんだよ!!
お前が辞めれば良かったんだよ、役立たずがっ!!』

今の私だったら、
『私の給与については、そちらで決めたことでしょう?私に言われても困ります』
などと反論したでしょう。
ですが、入って3ヶ月もしない新人にそんなことができるわけもありませんでした。

その翌日、私はどうしても職場に行きたくなくなり、兄に泣き言を言いました。
『兄ちゃん、今日はどうしても会社に行きたくない。もう休みたい』
言っているうちに、涙がぼろぼろこぼれてきました。
泣きながら昨日の出来事を兄に全て話しました。
兄は黙って聞いていました。

『わかった。俺も今日は付き合うから、二人でのんびりしよう』

その日は、梅雨が明けたばかりの暑い夏の日でした。

私たちは郊外へ行き、釣りをしました。暑かったけど、二人で一日中、肩を寄せ合うようにして太陽の下にいました。
風が吹いて木々が揺れていたのをはっきりと覚えています。

私たちは小さな魚を釣り上げました。
でも、その魚はもう死んでいました。
『釣り針が太すぎるんだ』
と兄は言いました。
自分の口では呑みきれないほどの太い針に食いついてしまったため、口が裂けて死んでしまったのでした。

私たちは、その魚を針から外し、水面にそっと返しました。
魚は、灰色の水面をいつまでもゆらゆらと漂っていました。
私たちはただそれを、無言で見つめていました。

あの魚は、太すぎる針に裂かれて死ぬために、生まれてきたのでしょうか?
社会に溶け込めない未熟な人間二人の、はけ口としてもてあそばれる為に生まれてきたのでしょうか?

私たちは無意識のうちに、これからの運命を死んだ魚の中に見ていたのかもしれません。

何も無い、ただ一日黙々と魚を釣っていただけの一日でしたが、私にとっては、一生忘れない最高の思い出でした。


過労死が怖い理由 その1
Wed.22.12.2010 Posted in 過労死
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更新が滞ってしまい、すみませんでした。


先に書いたとおり、私は仕事での疲れが溜まって体調を悪くすることも複数回、ありました。
社長はじめ、これまでの上長たちからは、
『死ぬほど働け』
『昼夜を問わず働け』
よくそう言われていましたが、結局、仕事で死ぬことは、どうしてもできませんでした。
自分の根気は深夜1時が限界でしたので、昼夜を問わず働くこともできませんでした。

疲れが溜まると、
『このままハイテンションをキープしたまま働くことはできるけど、ずっとそのままいったら死ぬかな?』
と思ってしまいます。
そうなると、ものすごい”死の恐怖”に取り付かれてしまうのです。
ほとんど本能に近いものかもしれません。
結局、”たかが宵の口”とも言われる深夜1時くらいまでの残業が続いたくらいで音を上げてしまい、一連の”欝騒動”を起こしてしまいました。

経営者にとっては、使い勝手の悪い労働者なのでしょうね。


今日は、社畜になれなかったできそこないの労働者に申し開きする機会を与えてください。


私は、過労死にものすごい恐怖を感じています。
20代の頃に経験した、兄の突然死が原因です。

兄は大学院を出て、私と同時期に就職しました。名前を出せば誰でも知っている、超有名企業でした。
兄と私の職場はお互いにそれほど離れていなかったので、私たちは2DKのマンションを借りて共同生活を送りました。
就職した場所は知らない土地で不安でしたし、家賃を節約したい考えもありました。

兄の会社は私の会社よりも厳しかったようです。

帰りは早くて夜10時、週に3日くらいは夜中の2時過ぎ、時には早朝4時頃に帰宅していました。
加えて週に最低2回は、”懇親会””交流会”などという名目での飲み会がありました。
課長や部長たちが率先して午前様をするので、ヒラ社員も従わざるを得ないそうです。
あまりにも残業が多いからというので、兄の会社は水曜日を”ノー残業デー”にしていましたが、上長からは
『単に会社に残っていてはいけないっていうだけだからね、仕事しなくていいっていう意味じゃないからね』
と念押しされたと言っていました。

兄は穏やかで優しいけれど、少しノンビリしたところもありました。
そのため、上司や年下の同期たちからも時々笑い者にされていたようです。

それでも、穏やかな物腰や正直な性格のせいで、深刻なイジメに遭うところまではいかなかったとは思いますが・・・
私が勝手にそう思っているだけで、もしかすると実際は足の引っ張りあいや本格的なイジメがあったのかもしれません。

普段はマイペースな兄なのですが、他の人よりも仕事のペースが遅いことに悩んでいたようです。
それでも、私を心配させまいとそれをギャグに変えたりして笑い飛ばしていました。

鈍感な私は、そのギャグを真に受けて
『兄もいろいろと大変みたいだけど、持ち前の明るさや社交性で、きっと職場に馴染んでいく』
と確信していました。




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