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社内失業中 - カウンセラー再登場
Tue.26.08.2014 Posted in 未分類
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始末書を書かされた後、私に対する社内の雰囲気が微妙にこれまでとは違ったものになりました。

誰も私と口をきこうとしないところは序の口でした。
私が担当していた仕事も、%田さんが来てからは徐々に無くなっていったのですが、始末書事件をきっかけに、ほぼ皆無となってしまいました。

一番の大きな仕事だったF社の件、それはたとえば一緒に資材調達先を回るような仕事もあり、普段のコレスポンディングもあったのですが、%田さんが来た後、突然担当を外されてしまいました。
そしてF社がわが社との提携を完全解消した後、私の仕事は完全に無くなってしまいました。

%田さんに何度も掛け合いましたが『のれんに腕押し』。
その上の職位の者に相談しようとすると、取りつく島も無く。

たまりかねて労務管理者に相談しましたら、例の『カウンセラー』が速攻でやってきました。
彼の言うことは相変わらず私には理解しがたい内容だったのですが、要約すると、以下のような内容でした。

・すべてお前が悪い。理由?根拠?どこを直せばいいかって?そんなことを求めること自体、反省していない証拠。

・お前は入社して何年?20年?じゃあお前が今の状態から普通に仕事を得られるようになるまでには、ちょうど20年かかる。それまで我慢するしかない。

・本当に仕事がほしいのなら、まず一人で全社の草むしりや清掃をして誠意を示すことしかない。

・心理テストを受けろ。(受けた結果)やる気はあるし一応スコアはいい。ではそれをきちんと生かせてないのは、おまえの能力不足。

・自分は社長の友人だから何人も首を飛ばそうと思えばいつでもできる。
しかし自分はただのカウンセラーにすぎないので、ボージョレ猫に仕事を与えろと上に頼む権限はない。どうすることもできない。

・おまえはこの会社が始まって以来、史上最大に会社に迷惑を与えた人間だ。そんな人間は普通クビだけど、この会社は優しいのでお前のような奴でも飼ってくれている。給料はもらえるんだからつべこべ言うな。その代り何も求めるな。

・お前にさせる仕事は、無い。お前は仕事をしてはいけない。仕事をする資格などない。


わがままだと言われても、構いません。
本当に、もう本当に本当にうんざりしました。
彼と話せば話すほど、気が狂いそうになりました。
自分は犯罪者並みに悪い人間だったのか?
自分の心身がだんだんと荒んでいくのがわかりました。


労務管理者には、
『もう彼と話したくない。自分の気持ちが正しい方向に保てるか、自信が無くなってきたから』
と何度も言いました。
しかし2週間に1回は、カウンセラーが来て『ボージョレ猫と話したい』と労務管理者に申し入れをしているようでした。
しかし、
『そんなこと言わないで、頼むよ。あの先生は口は悪いけど、ほんとうにボージョレ猫さんのことを心配しているんだから。悪気はないんだよ、ついついあんな口調になってしまうだけで、本当はとてもピュアで熱心な人なんだからさ』

ピュアで熱心・・・私はあのカウンセラーのことはとてもそんな風に思うことはできませんでしたが、それって私の心がひねくれているから?

2週間に一度、繰り返し繰り返し、カウンセラーの私に対するアドバイス(という名の非難)を聞くことは、もはや拷問でした。

私は弱い人間です。
回を重ねるたびに、だんだんとカウンセラーの言うことが本当のことに聞こえるようになり、いつしか自分が何の価値もない、生きているだけで迷惑な人間に思えてくるようになりました。

労務管理者とカウンセラーのほくそえんでいる顔も、同時に目に浮かぶようになりました。
考えたくはないのですが、たぶん・・・自分をダメなやつだと自信喪失させ、辞めさせるための計画なのでは。
そんな思いさえよぎるようになってきました。

この20年、会社を信頼し続けてきたのですが、今、すべてが崩壊していくのが見えました。




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社内失業はこうして始まった 2
Tue.19.08.2014 Posted in 未分類
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『説明しろって言われても・・・』
突然の社長の激高に、私は唖然として立ち尽くすしかありませんでした。


その日は、フランスから数名の訪問者が来社しました。
その会社(仮にF社とします)のCEOと取締役、総勢3名。
わが社はF社に長年、技術供与を行ってきました。
わが社の技術をベースに、小さな片田舎の町工場にすぎなかったF社は、この20年でグローバル企業へと成長していきました。
これまでの私なら、F社とのトップ会談の手配や議事進行などをすべて一人で取り仕切っていたでしょう。
過大評価ではなく、私はF社の首脳や担当者たちに信頼されているという自信があります。

しかし今回は、%田さんがすべてを取り仕切ることになりました。
先の休職から復帰して以来、仕事関係の情報は全てが%田さんのところで止まり、私のところに全く入らなくなっています。
そもそも%田さんから言いつかった簡単な事務仕事をする以外は、何もしてはいけないことになっていましたから。
当然今回も、F社の来日など全く聞かされていませんでした。

社長が再び吠えました。
『F社には貴様が入れ知恵したのか!?』

『・・・何のことですか?』
全く訳が分からないまま、そう返すのが精いっぱいでした。


労務管理者がやっと助け舟を出しました。
『まあまあ社長。ボージョレ猫さんは、F社が来ることは今朝、知ったんですよ。そうでしょボージョレ猫さん』

『・・・はい、そうです。%田さんに書記をするように言われたのは今朝で、それ以前のことは何も・・・』

社長と側近たちは顔を見合わせました。


事の顛末はこうでした。
F社がわが社を訪問して第一声、
『お宅との提携は全て解消したい』
と声明したそうです。
びっくりした社長が理由を尋ねました。

その答えが、
・貴社との提携契約は今年が満期だが、もはや延長する理由が無くなった。
・貴社はわが社(F社)に無断で、F社が紹介した資材会社と取引した。これはF社に対する背徳だ。
・これまではフランス語のわかるボージョレ猫がF社との窓口として、トップ会議の手配や議事録作成もすべて行ってきた。それなのに急にボージョレ猫は表に出なくなり、フランス語も外交業務も何もわからない%田が出てくるようになり、双方の意思疎通がスムーズに行かなくなった。
・これは貴社が我々との付き合いを続けていきたくないという暗黙の意思表示だと我々は受け取った。

そう言って、F社の人々は社長たちが止めるのも聞かずに席を蹴ったということです。


こちらも唖然とするしかありませんでした。言葉が出ません。
%田さんが来る前までの、F社とのやり取りや行き来をした記憶が『思い出』として蘇りました。
わが社とF社との長い歴史は、いったい何だったのでしょうか?
私の前任者たちがF社との関係を維持しようと一生懸命だったのを、私は身近に見てきました。
彼らの努力は何だったのでしょうか?

企業同士の関係も、人間同士と同じく、信頼が崩れる時は、一瞬なのです。

社長の灰皿が飛んできて、私は我に返りました。
彼のすごい叫び声がしましたが、私はもはやその言葉が理解できませんでしたし、聞いてもいませんでした。

『始末書書けよ!!始末書!知ってんだろ!?ボージョレ!聞いてんのかよ!!!』
次に我に返ったのは、その言葉を聞いてからでした。

『始末書・・・?なぜ?』
『いいから書けって言ってんだよ!!貴様が書かなきゃ誰が書くんだよ!?』
『なぜ私が書くのですか?何のために・・・?』
『今回のF社の件、誰が責任を取るんだよ!?』

再度、唖然とするしかありませんでした。
ことの経緯を何も知らない私が責任を取る?
私は理解力が悪くなったのでしょうか?


口がきけない状態で固まっている私に、労務管理者が言いました。
『ボージョレ猫さん、ここは空気読んでよ。F社の件、%田さんや社長のミスでしたと言うわけにはいかないでしょ?
長い物にはおとなしく巻かれることも大切だよ。誰もあなたがF社の件ミスったわけではないことは知ってるからさ。
なんならこちらで代筆してもいいよ?そうしようか?』

『書くのか書かんのか!!もし書かなかったら、ボージョレ!この会社に居られると思うなよ!!!
返事せやーーー!!!』



”始末書 私は自らのミスにより、F社との信頼を損ないました。これはひとえに、私が人間として未熟であり、社内常識をわきまえず、気付きが足りず、挨拶の声も小さいからであり・・・”

今もこの文面を思い出すと、屈辱感と自分自身に対する腹立たしさとで、目の前が暗くなりそうです。

会社に対する忠誠心が一気に薄れだしたのは、この頃からだったではないでしょうか?




休職 その2
Mon.04.08.2014 Posted in 未分類
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今日も、自分の休職から得た経験を書きます。
自分自身の狭い世界から来る、拙い経験にすぎないことを強く祈りたいのですが・・・

メンタル不調で休職というと、社内の誰もが心配してくれるでしょう。
しかし社内の人は基本的に信用できません。
心配するふりをしながら休職者を陥れ、早く追い出そうとする人々が混じっています。
それも思いがけない人々が、想像以上の数で。

「わが社はメンタルヘルスに理解のある会社だから」
それならよいのですが、それは案外、株主や世間一般に対するポーズかもしれません。
会社の人々の大半は、あなたがメンタル不調で休職するとなると、親切や心配そうにしながらも、どこかで足を引っ張ってくる、そのくらいの気持ちでいたほうが良いと思います。

休職中、気分転換に旅行や外出はいいと思いますが、極秘裏に行動するほうが無難です。
損得抜きの、かけがえのない親友が外へ連れ出してくれるかもしれませんが、人のいるところで談笑などしないほうがよいでしょう。
一日中しくしく泣きながら部屋の中にこもっていると見せかけておいたほうが、後々、得です。
窮屈ですが・・・。

会社の人間関係の大半を占めるものは、『嫉妬』。
人事査定も出世競争も企業秘密漏えいも不祥事も、その根本には嫉妬の感情が強く作用しています。
サラリーマンは世界で一番嫉妬深い人種だと言えるでしょう。

ですので、休職者をどこかで見かけると、
「あいつは休職するとか言いながら会社をサボって遊んでいる、許せない」
と、勘違いする輩が大勢現れます。
仕事大好きを標榜する人間の化けの皮が剥がれる瞬間です。
あるいは、彼らはメンタル不調の辛さが理解できない、人の心に寄り添えない輩です。
他人を見てとやかく言うよりも、自分のことをちゃんと見ろよと言いたいところですが、
そんなレベルの人間がひしめきあい、足を引っ張り合うのが、サラリーマン社会というものです。
愚かしい世界です。しょせん社畜は社畜です。

面倒なのは、『あいつだけ遊びやがって』というゆがんだ感情が、”鬱は甘え”だの”仕事に集中してたら鬱になる暇なんか無いはず”などなどの精神論に化け、次いでコンプライアンスだの社内風紀だの大義名分に化けた時です。
そうなったら非常に厄介です。

そういう連中に隙を与えないためにも、休職中は用心して行動することをお勧めします。

休職
Tue.29.07.2014 Posted in 未分類
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自分の経験から言うと、鬱または抑鬱症状の場合、1ヶ月の休職など気休めにも治療にも何もならないと思いました。
1ヶ月の間は、まだ心身が会社とともにあります。
なぜ他人は仕事してるのに、自分は1ヶ月も休むんだろう、自分も休んだ分を取り戻さなくては!
少なくとも1ヶ月は、そんな気持ちでいっぱいになって、気が焦ってばかりで空回りしてしまいます。
今は休む時期だから、ゆっくりしてよと周囲が言っても、わかりません。
会社から完全に心が離れて自分自身を取り戻していくのには、やはり3ヶ月はかかるのではないかと思います。

さて3ヶ月や6ヶ月休職できたとして、復職します。
会社の復職プログラムが万全で、元の職場も受け入れOKな会社って、実はそうそう多くないのが実情なのかな?と思います。
元の職場、その会社自体、あるいは業界がどれだけメンタルヘルスに理解があるか。それに大きく依存すると思います。

パターン1
復職者は徐々に調子を取り戻し、無理なく働ける。これが最も理想的なパターンです。現実を見るに、最もラッキーなのだと思います。

パターン2
良心はあるのかもしれませんが、会社も職場も、復職者をどう扱ってよいかわからないので、当たり障りのない仕事を与えて遠巻きに見る。
実際はそのような職場が最も多いのかもしれません。
しかし復職者は、自分は厄介者扱いされている、もう第一線には戻れないのだとネガティブな思いやフラストレーションを募らせ、鬱が悪化するか自主的に退社するか。
良心的なのはうわべだけで、実は会社は復職者を辞めさせるための確信犯なのかもしれません。
実際はそうでなかったとしても、誤解を受けやすいことで、会社としては最も損するやり方でしょう。
「当たり障りのない仕事しか与えない」と書きましたが、その度合いによっては、パワハラの「わざと仕事を与えない」あるいは「能力に比べ難易度の極めて低い仕事しか与えない」ケースに該当します。
おかしいな?と思ったら(たとえ鬱的な被害妄想かどうか自己判断に迷ったとしても)、日々の記録を残しておくことをお勧めします。

パターン3
最悪なのは、休んでいる最中から会社を辞めるように圧力をかけたり、あなたにはこの会社はやっぱり向いてなかったんだよと何度も吹き込むこと。
メンタルヘルスに無理解な、精神論がまかり通る会社は得てしてこのパターンです。
私の場合もこのパターンに該当するものでした。
このパターンは明らかな法律違反です。圧力のかけかたによっては、裁判に持って行ってもよいでしょう。
できるだけ詳しく、日々の記録をとっておき、人事や直属上司と話すときも全て録音するか、メモや日誌などの記録をとっておきましょう。
次の就職先が見つかった時点で、そんな会社とはさよならしましょう。

ひとつ言えることは、心を病んでまでやる仕事などありえない、ということです。

予言の書
Mon.21.07.2014 Posted in 未分類
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2012年までの記事では、社内で受けたパワハラと、それがもとで社内失業になったプロセスを書きたいと思っていました。
結局、中途半端に終わりましたが。
過去形のことを書くわけですが、つらい思い出ですので、思い出していくと次第に鬱になっていきます。
これがとても怖かった。
『兄の死』を書いたのも、書きながらだんだん鬱傾向に堕ちていく自分と精いっぱい闘かったつもりでしたが・・
パワハラや社内失業の具体的なことは、書けずじまいでした。


『言霊』とでも言うのでしょうか?
2012年の記事で書こうとしていたことが、今、そっくり再生されてしまいました。
ネガティブなことを何かに書くと、それが現実となって自分に降りかかる。
その実現力に恐怖すら感じています。

今の会社も、相当にパワハラが酷いと思います。
ある意味、前の会社以上でしょう。
考えられる原因としては・・
- 余所者を嫌う体質
- 蓄積する社内的問題で、皆が鬱屈した気持ちを抱えている。
それが弱い立場の者へ捌け口となって現れるのでしょう。

入社早々から辞めるように言われたり、ひどい言葉で罵倒されたり、自分の道具を壊されそうになったり、人格を否定されたり。
数え上げるとキリがありません。
それは入社以来、今でも続いています。
詳細は書けませんが、命の危険を本気で覚悟したこともありました。



ですので、前の会社そして今の会社でのパワハラについては、あまり事細かに書かないほうがよいのかもしれません。
書くのなら、もう少し心が強くなって、エネルギーが出てから。


今の私は、感情や思考の自由さえも、まるで何かに奪われてしまっているようです。
理不尽さに対する怒りさえも出てきません。
このままやり過ごせばいい、聞かないで無視すればいい・・とばかりに、
全面から向き合って戦うということさえも避けようとしています。
それが相手を、余計に苛立たせることはわかってはいるのですが・・・


ただただ、『疲れた』の一言しかありません。

他人に向き合うことに疲れた。
コミュニケーションを取ることに疲れた。
会話に疲れた。
理解することに疲れた
・・・・

今の私には、力を振り絞っても、それらのエネルギーが湧いてきません。
毎日毎日疲れた状態で会社へ行き、パワハラを受けてそれを静かに自分の中で溜めこんで帰ります。
溜めこまれた負のエネルギーは行き場をなくし、私の心身を蝕んで行きます。
これではよくないと自分ではわかってはいるものの、それらを外に押し出す気力すら残っていない。


土日は引きこもっています。
それが悪いこともわかっていますが、買い物や散髪にさえも、出かける気力が出ない。
ベッドの中でごろごろしながら、ウィークディに会社で受けたパワハラを思いだし反芻し、再び静かに怒りを溜めこむことで休日が終わってしまいます。
やめようと思ってもやめられない。


ベッドの中で思ったのは、やはり自分はどこに行っても苛められる体質なのだと自覚しました。
それは幼少期から培われた性格もあるし、もう一生治らないでしょう。
なので、サラリーマンをやっている以上は、パワハラとは縁が切れそうにない。
努力すべき点があるとしたら、少しでも心身への悪影響や負担を軽くすることくらいでしょう。

『命の危機』に遭遇して以来、自分を大事にする方向に、考えをシフトしていこうと思います。

再開
Sun.20.07.2014 Posted in 未分類
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2年以上、記事をお休みしていました。
今日と明日という限られた時間を生きることで精いっぱいだったからです。
過去のことを振り返る余裕さえも、持つことができませんでした。

あれから私を取り巻く環境は、大きく変化しました。

その後、別の会社からスカウトされ、転職しました。
転職先は大手優良企業。
年収もかなり増え、傍目にはステップアップなのかもしれません。
しかし実態は、前の会社よりも古い労働観を持つ会社でした。
それがわかったときは、既に遅し。
ブラック労働の果てに、生命の危険にさらされるところまで行ってしまいました。

それでも今、私はなんとか今の会社にいます。

『自分の仕事ぶりや能力を認められたい』
『自分のこれまでの実績を否定しないでほしい』
『仕事ができる人だと評価されないと、恰好が悪い』
『この会社で認められないと、もう後が無い』 etc・・・

当初持っていたそれらの気持ちは、きれいに捨てました。
それらにこだわると、自分の命を縮めるだけだと気付いたからです。

今の会社での私の評価は、
『鳴り物入りで入った割には使えない人材』。
部署内での人事評価は、最低ランクです。
でもそれで良いのです。
期待されないことは、とても楽なことです。

私達は働くために生きているのではないのです。
お金が必要だから働いているだけです。
会社や上司を喜ばせるためではありません。
自分の命を犠牲にするなんて論外です。

一つ不満があるとしたら、仕事がまったく面白くないことでしょうか。
たとえば、メカニックを20年やってきた者が、なぜか全く畑違いの経理部門に配属されたことを想像してみてください。

これからの私は、仕事が無くて悩むことはないと思います。
むしろ、仕事が減って自分の時間が持てることは、ラッキーだと思わなくてはなりません。
自分なりの労働観を、少しずつ、淡々と綴っていければと思います。


社内失業はこうして始まった
Sun.30.09.2012 Posted in 干された
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その日は、突然、やってきました。

会議室の向こうで、何やら雄叫びが聞こえていました。
何か嫌な雰囲気を感じました。

『誰か、ボージョレ猫をここに連れて来い!!』
はっきりと、そう聞こえました。

・・・何事!?
特に思い当たることは無いけど?
凍りかけた私のところへ、安全衛生管理者と営業部長が速足でやってきました。

『ボージョレ猫さん、社長が呼んでるから、早く来て!!』

何のことかわからず立ち上がりました。
%田さんは、素早く立ち上がり、事務所から出て行こうとしました。

『何逃げてんだよ%田さん、あんたも来るんだよ!!』
営業部長と安全衛生管理者は、%田さんを羽交い絞めにし、引きずるように会議室へ。
その後ろを不安な面持ちで付いて行く私。
きっと、傍目には不穏な空気が漂っていたのではないでしょうか。
事務所はいつもざわざわしているのですが、私たちが会議室へ歩いていくとき、一瞬静まり返りました。


あまりにも険悪で重い空気が漂っていました。
会議室の外までも。
入る時、一瞬、足が震えました。

『うりゃぁーーーっ!!!』
叫んでいるのは、社長でした。
私が入室すると同時に灰皿が宙を舞い、壁に当たって下に落ちました。
アルミの軽い灰皿で良かったと思いました。

『何でこうなったのか説明しろやー!!おらボージョレ猫ー!!!』
『・・・』
凍りつくしかありませんでした。
心の中では、
『なんでこんなことになるのか、説明してほしいのはこっちのほうだ』
と叫んでいました。
ですが、声に出すと灰皿投げだけでは済みませんので、心の声を押し殺すしかありませんでした。
上司の%田さん
Mon.21.05.2012 Posted in 干された
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ここで、上司の%田さんについても、少しお話ししておきましょう。

新しく上司となった%田さんは、変わった人だと思いました。

かなり無口です。
もっとも、彼は技術畑一筋の人でしたので、無口なのはそれほど不思議なことではありません。
しかし用事があるときは、すぐ斜め前に座っているのにもかかわらず、走り書きしたメモを私の机に投げてよこすのには、最初は戸惑いました。

当然、あいさつをしても一方通行です。
%田さんに誰かが用事でやってきても、まともに会話が成り立っているのは見たことがありません。
いつしか、私たちの部署には、誰も来なくなりました。

正直、こういう人は初めて見ました。
しかし、前の部署でもそうだったということですので、個性なのだろうと思うことにしました。

・・・ここまでは、許容範囲でした。

しかし、そのうちに、困ったことが出てきました。

私の部署は、出張や外部の関係機関との交流は活発でしたし、またなくてはならない業務でした。
しかし%田さんが部門長になってからというもの、取引先や提携先への出張、勉強会やセミナー出席、関連団体とのミーティングなどなど、外部とコミュニケーションを持つことは全面禁止となりました。

私 『%田さん、それでは業務が成り立ちませんよ。外部とコミュニケーションを取らずして、私たちの部署に存在意義はあり得ないのではないですか?』

%田さん 『う~・・・う~・・・外の者と付き合っても、何の役にも立たない。必要ならメールとかファックスを使え』

私 『face to faceで信頼関係を築くことも大切なのでは…』

%田さん 『そんなもの要らん。絶対に要らん』

私 『%田さん、では私たちの部署に対する展望や目標などについて、%田さんのご意見を教えていただけませんか?これからの部署運営のために、お互いに摺合せをしていきませんか?』

%田さん 『う~う~・・・あんたには目標とか展望があるんかね?』

私 『ええ、私なりにありますが』

%田さん 『なら、それを提出してよ』

私 『・・・・』


上司に業務計画や目標を尋ねてみたとき、上司が自分の意見は言わずに、『君はどうなの?』と、逆質問になった場合。
これまでの私の経験から言うと、これは自滅フラグです。
計画・目標を提出しても目の前で破って捨てられる、または、『余計なことを考えないで目の前の仕事をやれ』・・・などと怒鳴られ、人事考課も下げられるのがオチです。

もともと、わが社では、チームリーダーや部門長が、部下やメンバーに部署の目標や計画を話すことは、基本的にはありません。
とくに技術系の部署では、『その必要はない』とされています。
要は、下々のスタッフたちに経営方針や目標なんか話しても意味がない、という一種の『愚民化政策』だと、私は今でも思っています。
『愚民化』が言い過ぎだとすれば、上の人と下々の人との間に『情報格差』を設けることが、わが社のマネジメントの方法なのかもしれません。

ですが時には、部門長たち自体が、会社の将来展望について考えることを停止したのではないかとも思えてきます。

ついでに言うと、会社の数字、たとえば会計報告や損益報告などは、部門長以下にはマル秘となっています。
私の職位は中間管理職ですが、わが社の利益や売り上げについては全く知りません。
ずっと昔、比較的仲の良かった他部署の部門長にそれとなく尋ねたことはありましたが、
『そんな大切な情報を下の者にまで教えて、社外に情報が洩れたらタダでは済まされないから』
と一蹴されたことがありました。
社外に洩れたら困るような利益なのでしょうか?

情報遮断が良いことだとは思えないのですが、それがわが社なのだと思うしかないのかもしれません。


話が逸れました。

%田さんは、おそらく部署に関しての自分の考えは、あまり持っていないのだと判断しました。
彼にマネジメント的なことや大局的なことをあれこれ尋ねるのは、酷なのかもしれないと思い、以来その話題は出さないようにしました。
考えてみれば、畑違いのところから来た%田さんにいろいろなことを求めてはいけないのかもしれません。
自分が%田さんをうまく立てて、裏からさりげなく部署運営をできるようになればいいし、会社もそれを求めているのだろうと、その時は考えたのです。

とは言え、海図もGPSも、無線や携帯も持たず、漁協にも加入しない漁船と同じようなもので、果たして遭難もせずに一定の漁獲量をあげられるのか、不安は尽きませんでした。

そのころから、仕事をしていて、時々ふと嫌な予感にさいなまれることが増えるようになりました。






休職明けの面談 ~ 世の中なめんな!
Mon.21.05.2012 Posted in 欝の顛末
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話を現在に戻しましょう。

『抑うつ症状につき1ヶ月の休職を命ず』
と、会社指定の心療内科の先生に診断書をもらい、1ヶ月ゆっくり休み、職場復帰する予定でした。
しかし、自称『カウンセラー』の”顧問”に呼び出しをくらい、
『いくら休職の診断書があっても、他人が働いている時に自分だけ休むなんてもっての他だ』
と説教されました。
人事や安全衛生係にも強く言われ、結局のところ休職は3週間で打ち切らざるを得ませんでした。
”顧問”との面談があった後、かなり重苦しい気分が続き、なんだか気疲れしてしまいました。
休養できたとの実感も無く、診断書をもらった3週間後に出社しました。

今後の業務について、%田さんと打ち合わせることにしました。

私 『不在中、いろいろとご迷惑をおかけしました。休職期間は昨日で終わりました。ゆっくり休ませていただいて、心身も回復したので、これからは元通りに業務に打ち込みたいと思います。
早速ですが、今後の仕事の分担についてですが・・・』

%田さん 『う~う~・・・仕事は無い』

私 『は?』

%田さん 『仕事は、無い』

私 『え?私が復帰してから進めることになっていた案件もいくつかあったと思いますが』

%田さん 『無くなった』

私 『・・・無くなったとは? 他の部署が肩代わりしてくれたのですか?』

%田さん 『違う』

私 『すみません、詳しく教えてもらえませんか?』

%田さん『う~う~う~う~・・・・・(長い沈黙) 無いものは無い。無くなった。余計なこと考えるな』

私は、絶句しました。
何がどうなったのか、理解できません。

私 『では、これからの業務ですが・・・』

%田さん 『無い』

私 『全然無いんですか?』

%田さん 『無い。あったら言う』

私 『・・・判りました』

狐につままれた気持ちもあったのですが、上司となった%田さんと、今後うまくコミュニケーションが取れるかどうか、不安を感じました。
もともと%田さんは大人しく無口で、マイペースな人だとの認識がありました。
彼は入社以来、一貫して技術畑にいました。
わが社の技術系社員には、無口で口下手、他人とのコミュニケーションがあまり得意でない人も少なくないので、%田さんもその一人なのだと思っていました。


%田さんとの打ち合わせが終わり、しばらくしてから安全衛生係がやってきました。

『休職明けおめでとう。これからは%田さんをサポートしながら、しっかり頑張って働いてね。顧問が話したいって言ってるから、ちょっと来てよ』

気が進みません。いやな予感がしましたが、仕方なく腰を上げ、安全衛生係とともに顧問室へ向かいました。

私 『失礼します』

顧問 『はいこんにちは。こないだはどうも。ゆっくり休めた?』

私 『はぁ・・おかげさまで』

心の中で、あんたのおかげで後半は休養どころじゃなくなったんだけどね・・と呟きました。

顧問 『それはよかったね。ところで、今後の仕事のペースとか、上司と今後のことなんか話し合った?』

私 『さっき話したのですが、仕事は無いと言われて、ちょっと当惑しているところです』

顧問 『ふ~ん、”仕事は無い”かぁ。そりゃそうだろ』

私 『え?』

顧問 『3週間も休んでた人間に、仕事なんかあるわけないじゃん?』

私 『・・・』

顧問 『3週間休養しました、心身の疲れが取れました、これから元通りに働きますって言ったところで、すぐ仕事に戻れるほど世の中甘くないんだよ』

顧問の話が理解できない私は、頭が悪いのでしょうか。
それとも、自分では気付かないうちに、潜在的に顧問に対する敵愾心があって、それで顧問の話が飲み込めなくなっているのでしょうか。

私 『人事や安全衛生係からも、休養が終わったら、元通り仕事に戻ってまたしっかり働くようにと、ずっと言われてたのですが・・』

顧問 『あんた世の中をなめてんの?世間ってのはね、厳しいもんなんだ。あんたみたいな甘ちゃんは、どこに行っても通用しないね』

再び、絶句するしかありませんでした。
休職後の業務に関することを話したつもりなのですが、いつの間にか”世の中論”に変わる、その思考がよく理解できなくなってしまいました。
過労で心身に不調を来たしたので休む、休んだ後は、また元気で働く。
そんなにおかしなことなのか、世の中をなめたことなのか、私にはわかりません。
それとも、顧問の考えが普通であって、私はまだヘンな疲れを引きずったままなのでしょうか。

私 『休んで体調も良くなったので、これからまたしっかり働きます。それが会社にとっても私にとっても、両方にとって良いことだと思うのですが・・・』

顧問 『あんたにさせる仕事なんかあるわけないだろうが!いい加減に察しろよ!!』

吐き捨てる口調。雰囲気が凍りつきました。
私はそこまでおかしなことを言ったのでしょうか?

そこで安全衛生係が割って入りました。

『まあまあまあ。ボージョレ猫さん、そんなに固く考えないで。先生はね、あなたを試してみただけなんだよ』

私 『試す・・・?』

安全衛生係 『そう。あなたが復帰後もきちんと仕事をする意志があるのかどうか、これからの厳しい世の中に打ち勝っていけるかどうかを、チェックしてみたかっただけなんだから。
先生はあなたに対して親身になってくださっているから、つい厳しい口調になってしまったんだよ。ねっ先生?』

顧問は、無言であさっての方を向いていました。

私 『そうですか。お試し、だったんですか』

少し意地悪く答えたつもりですが、彼らには通じているでしょうか。

顧問の”親身な熱意”には申し訳ないのですが、人を試すという行為には、かねてから私は違和感を覚えます。
相手のことを知るのには、いろいろな話をしてみて、その中から相手のことを把握する。それが相手を知る正攻法だと私は思います。顧問の持つ資格である、カウンセラーとはまさにそれが仕事なのでは。
それができないから、手っ取り早く『試す』という行為に出るのでしょうか?
それとも、単に傲慢なだけなのでしょうか?

休職中の面談と今日の面談。
顧問に対して不信感が沸くのは、それだけで十分でした。

今日の面談はここでお開きになりましたが、吐き気を催すような後味の悪さにさいなまれる一方で、今後の仕事が無いことへの不安感が募りました。

席へ戻っても何もすることもなく、安全衛生係に固く言われたとおり、定時で退社しました。

過労死が怖い理由 その4 後始末
Tue.08.05.2012 Posted in 過労死
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兄の葬儀は、ほとんど社葬に近いものでした。
さすがは超有名企業だと思いました。数百人もの社員の方々が、マイクロバスを仕立てて参列してくれました。
葬儀の仕切りは、全て人事部や総務部の人たちが完璧にやってくれました。
私や両親、親族らは、兄の勤務先に感謝こそすれ、恨む気持ちは全く起こりませんでした。

年を取ってすれっからしになった今の私が、タイムスリップしてこの葬儀に居合わせたとすれば、
『さすがに大企業は”上手”だ』
と感心したことでしょう。

今の時代だと、兄の死は、過労死として裁判沙汰になってもおかしくない。
おそらく兄の会社もそのあたりを考えたのだと思います。
葬儀を完璧にしてあげるなど、遺族の非難をかわして穏便に済ませるための社内マニュアルがあるのでしょう。
そのあたりの対応を少しでも間違え、たとえわずかでも遺族の心にクエスチョンマークを付けてしまうと、有名企業だけに相当なリスクとなってしまうのでしょう。


後日、私と母は、兄の勤務先に挨拶に行きました。
母は、
『まだ何のお役にも立っていないのに、こんなことになってすみません、ご迷惑をおかけして本当にすみません』
と、泣きながら繰り返しました。
兄の上長や、そのまた上の偉い人たちは、
『**君は入社して間もないのに頑張り屋で責任感の強い社員でした。私たちも本当に残念に思います』
と言っていました。

ですが、そこにはどことなくひんやりした空気が漂っているような気がしました。
正直に言うと、上長や偉い人たちの言葉は、なんとなく表面をなぞっているように思えていました。

- 本当に残念だと思うのなら、強制残業とか飲み会とかは止めるの?
- そういうのって、本当にに必要なことだったの?

そうは思ったものの、その頃の私は、自分の考えをはっきりした言葉で、かつ失礼の無いように伝える技術は持ち合わせていませんでした。
『やっぱりそんなこと言ったら失礼かも・・葬儀ではせっかく良くしてくれたんだから・・』

そう思って、自分の心に芽生えた疑問を飲み込んでしましました。


ですがそれ以来、長時間の残業や頻繁な出張などで体が疲れたとき、必ず兄の死を思い出すのでした。
『死ぬ前の兄は、もっときつかったのだろうか?』
『だとすれば、なんであの日、午後も兄を休ませてあげなかったんだ!?』
『自分が憂さ晴らししたいって、疲れた兄を引きずり回して!!自分はなんて人でなしなんだ!!!』
『自分は、兄の死の罪を背負って、もっともっときつい思いをして過労死しなければならないんだ』
いつもそんな考えが頭をよぎっていました。

その反面、長時間労働がきつい、いやだ、休みたい、と、心身の不調を盾に訴えている自分も、確かにいました。
そのことを会社に咎められ責められることを恨みに思っている自分も。

どちらが正しいのか、私はどうすべきなのか。

自分が引き裂かれそうでした。
今にして思えば、その『引き裂かれ感』も、鬱の原因だったのかもしれません。




過労死が怖い理由 その3 兄が死んだ
Tue.08.05.2012 Posted in 過労死
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翌年、兄は他の部署へ異動しました。

新しい部署は前の部署と違い、残業はそれほど厳しくなくて、チームワーク重視のところだと兄は言っていました。
帰宅時間も、前の職場ほど遅くなることもないとも聞きました。
新しい職場のほうが、兄の性格によく合っていると思い、私は嬉しく思いました。

しかし兄は、入社2年目にして異動した自分を不甲斐ないと感じていたようでした。
新しい職場は、確かに役職者や上長たちが揃って遅くまで残業する職場ではありませんでした。
しかし兄はどこか引け目を感じていたのか、朝は誰よりも早く、夜も遅くまで職場にいました。
『兄ちゃん、マイペースでやったら?最初から力まないほうがいいって』
私はそう言うしかありませんでした。
兄も『そうだね、気を付けるよ』と生返事をするしかありませんでした。

私たちが社会に出てから2年目の夏がやってきました。

ボーナスが出た後、私はまた嫌味を言われました。
黙って受け流したのですが、家に帰って少し悲しくなりました。
ちょうど金曜日だったので、帰宅した兄に、
『兄ちゃん、明日どっか遊びに行かない?』
と持ちかけました。
兄も賛成してくれました。
『そうだね、たまにはいいか』

土曜日。
その日は朝からよく晴れ、熱く乾いた風が吹く日でした。
11時ころ起きた私たちは、午後から遊びに行くことにしました。
その前に腹ごしらえをしようと思いました。
起き上がって物憂げにタバコを燻らす兄。
私は久々に兄と出かけることが嬉しくて、はしゃいでいました。

『兄ちゃん、味噌ラーメンにする?それか、醤油ラーメン?』
『どちらでもいいよ、任せる』

それが私と兄との最後の会話でした。



5分ほどして、お湯が沸きました。
再び、兄に声をかけたとき、兄の呼吸はすでに止まっていました。



救急車が来るまでの時間が、永遠のものに感じられました。

蘇生処置を施す救急病院の先生の額から、飛び散る汗の粒。
『ご臨終です』の声がやけに遠くから聞こえる気がして、それでも深々と頭を下げた自分の姿。
病院の窓から見えた、風に揺れて夏の日に輝く緑の眩しさ。


通夜から葬儀、そして火葬の瞬間まで、私は信じていました。
兄が、
『な~んちゃって!』
と、がばっと起き上がり、
『ほんとにオマエはすぐに騙されるねぇ~』
と、いつものように笑うところを。


ですがついに、兄が起き上がることはありませんでした。


Tue.08.05.2012 Posted in 未分類
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長い長い間、更新が止まってしまい、申し訳ありませんでした。

前の記事では、兄の死の顛末を書いていました。
兄が亡くなった瞬間のことに差し掛かった時、涙が止まらなくなり、精神的にとても不安定になってしまい、そこから前へ進めなくなってしまいました。
情けない話です。
兄の死からはかなり経っているのに、まだ引きずっている自分がいました。

ブログを休んでいる間、いろいろなことがありました。

ついに退職勧奨を受けてしまい、仕事を取り上げられ、完全に社内ニートになってしまいました。
今現在も社内ニートのままです。

『会社はもう私のことを不要だとはっきり言った』
この現実を前に、今後の身の振り方について必死に考えました。
しかし、折悪しくリーマンショック後でもあり、転職しようにも転職先は見つからず・・・
障碍者年金の受給、副業、資格を取って独立開業・・・などなどいくつかの選択肢も浮かびました。
社外の心理カウンセラーや、特定社労士事務所で話を聞いてもらったりもしました。


とりあえず最も現実的なのは、会社に居座り続け、給料泥棒となることだという結論に達しました。

ですが、定年まで完全無欠の給料泥棒として生き続けるには、かなり長いです。
それまで耐えられるか?
それよりも、仕事をしない自分自身に納得できるのか?

葛藤は尽きません。

給料泥棒としてきれいに割り切り、プライベートだけを考えて生きられるのなら、どんなにラクなことでしょうか。
私と同じような目に遭いながらも、趣味に充てるために給料を稼いでいる人も世の中には多くいます。
私もその一人にならなければ。
『仕事をすること』に未練を持たず、資本家から掠め取って生きることに専念しようと、何度も何度も頭を切り替えようとしましたが・・・

これを書いている今現在も、切り替えはうまく行っていません。
こういうところが、経営者に付け込まれる原因なのではないでしょうか・・・

今日、このブログのタイトルを
『社内失業者の憂鬱』
と変更します。
『働いても、ムダ』でも良いのですが、本当の私は、もとのように働きたいのですから。
リタイアするとき、自分のこれまでの働き人生が本当にムダだったのかどうかが判るでしょう。

兄の死のことや、退職勧奨のこと、その後の道のりについて、つたないながらも、これからまた少しずつ書いていきたいと思います。



過労死が怖い理由 その2
Wed.22.12.2010 Posted in 過労死
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一方私のほうは、入社してすぐ、職場(今の会社です)に違和感を感じ、うまく馴染めずに毎日泣きそうな思いをしていました。
大卒ですので初任給が他の若手社員より少し高かったこと、にもかかわらず、大学での専攻の関係とはいえ配属先が分析などの軽作業部門だったことなどについて、現場の社員たちから毎日のように嫌味や小言を言われていました。

それで時々兄に愚痴ったりワガママを言う日もありました。
今にして思えば、兄のことなど深く思いやりもせず、自分のことだけしか見えていなかったのです。

入社して夏のボーナスをもらった後、勤続3~4年くらいの現場の若手社員たち7名が、一斉に辞める事件が起きました。
彼らの上長たちがびっくりして理由を聞いたところ、
『3K職場が嫌になった』。
ただ、そのうちの一人が
『今年入った新人は軽作業しかしていない、なのに勤務年数の長い自分たちよりも月給が高いのはおかしい』
とこぼしたそうです。

私の上長にもそのことが伝わり、彼がすごい勢いで飛んできて、顔を真っ赤にして怒鳴りました。
『お前なんか雇ってやったせいで7人も辞めたんだよ!
知ってんのかおい!
お前なんか存在自体が迷惑なんだよ!!
お前が辞めれば良かったんだよ、役立たずがっ!!』

今の私だったら、
『私の給与については、そちらで決めたことでしょう?私に言われても困ります』
などと反論したでしょう。
ですが、入って3ヶ月もしない新人にそんなことができるわけもありませんでした。

その翌日、私はどうしても職場に行きたくなくなり、兄に泣き言を言いました。
『兄ちゃん、今日はどうしても会社に行きたくない。もう休みたい』
言っているうちに、涙がぼろぼろこぼれてきました。
泣きながら昨日の出来事を兄に全て話しました。
兄は黙って聞いていました。

『わかった。俺も今日は付き合うから、二人でのんびりしよう』

その日は、梅雨が明けたばかりの暑い夏の日でした。

私たちは郊外へ行き、釣りをしました。暑かったけど、二人で一日中、肩を寄せ合うようにして太陽の下にいました。
風が吹いて木々が揺れていたのをはっきりと覚えています。

私たちは小さな魚を釣り上げました。
でも、その魚はもう死んでいました。
『釣り針が太すぎるんだ』
と兄は言いました。
自分の口では呑みきれないほどの太い針に食いついてしまったため、口が裂けて死んでしまったのでした。

私たちは、その魚を針から外し、水面にそっと返しました。
魚は、灰色の水面をいつまでもゆらゆらと漂っていました。
私たちはただそれを、無言で見つめていました。

あの魚は、太すぎる針に裂かれて死ぬために、生まれてきたのでしょうか?
社会に溶け込めない未熟な人間二人の、はけ口としてもてあそばれる為に生まれてきたのでしょうか?

私たちは無意識のうちに、これからの運命を死んだ魚の中に見ていたのかもしれません。

何も無い、ただ一日黙々と魚を釣っていただけの一日でしたが、私にとっては、一生忘れない最高の思い出でした。


過労死が怖い理由 その1
Wed.22.12.2010 Posted in 過労死
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更新が滞ってしまい、すみませんでした。


先に書いたとおり、私は仕事での疲れが溜まって体調を悪くすることも複数回、ありました。
社長はじめ、これまでの上長たちからは、
『死ぬほど働け』
『昼夜を問わず働け』
よくそう言われていましたが、結局、仕事で死ぬことは、どうしてもできませんでした。
自分の根気は深夜1時が限界でしたので、昼夜を問わず働くこともできませんでした。

疲れが溜まると、
『このままハイテンションをキープしたまま働くことはできるけど、ずっとそのままいったら死ぬかな?』
と思ってしまいます。
そうなると、ものすごい”死の恐怖”に取り付かれてしまうのです。
ほとんど本能に近いものかもしれません。
結局、”たかが宵の口”とも言われる深夜1時くらいまでの残業が続いたくらいで音を上げてしまい、一連の”欝騒動”を起こしてしまいました。

経営者にとっては、使い勝手の悪い労働者なのでしょうね。


今日は、社畜になれなかったできそこないの労働者に申し開きする機会を与えてください。


私は、過労死にものすごい恐怖を感じています。
20代の頃に経験した、兄の突然死が原因です。

兄は大学院を出て、私と同時期に就職しました。名前を出せば誰でも知っている、超有名企業でした。
兄と私の職場はお互いにそれほど離れていなかったので、私たちは2DKのマンションを借りて共同生活を送りました。
就職した場所は知らない土地で不安でしたし、家賃を節約したい考えもありました。

兄の会社は私の会社よりも厳しかったようです。

帰りは早くて夜10時、週に3日くらいは夜中の2時過ぎ、時には早朝4時頃に帰宅していました。
加えて週に最低2回は、”懇親会””交流会”などという名目での飲み会がありました。
課長や部長たちが率先して午前様をするので、ヒラ社員も従わざるを得ないそうです。
あまりにも残業が多いからというので、兄の会社は水曜日を”ノー残業デー”にしていましたが、上長からは
『単に会社に残っていてはいけないっていうだけだからね、仕事しなくていいっていう意味じゃないからね』
と念押しされたと言っていました。

兄は穏やかで優しいけれど、少しノンビリしたところもありました。
そのため、上司や年下の同期たちからも時々笑い者にされていたようです。

それでも、穏やかな物腰や正直な性格のせいで、深刻なイジメに遭うところまではいかなかったとは思いますが・・・
私が勝手にそう思っているだけで、もしかすると実際は足の引っ張りあいや本格的なイジメがあったのかもしれません。

普段はマイペースな兄なのですが、他の人よりも仕事のペースが遅いことに悩んでいたようです。
それでも、私を心配させまいとそれをギャグに変えたりして笑い飛ばしていました。

鈍感な私は、そのギャグを真に受けて
『兄もいろいろと大変みたいだけど、持ち前の明るさや社交性で、きっと職場に馴染んでいく』
と確信していました。




カウンセラーとの面談
Sat.11.12.2010 Posted in 欝の顛末
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私物を取りに会社へ行った、その翌日のことです。
すごい勢いで安全衛生係から電話がかかってきました。

安全衛生係 『昨日、会社に来たでしょ!?』
私 『事務所に忘れ物をしてたことを思い出したので、取りに行きました。ついでだからメールチェックして、5分くらいですぐに帰りました』
安全衛生係 『休職中なのにどうしてそんなことするの!?顧問が貴方と話したいって言ってるから、明日午後イチで来て!』

”顧問”とは自称「労働カウンセラー」。聞くところでは社長の友人だということでした。
週に1回ほどわが社にやってきて、社員を対象に”悩み相談室”を開いていました。

電話を受けた次の日の13時頃、再度出社。
安全衛生係に伴われて”相談室”へ入りました。
待ち受けていた”カウンセラー”は自己紹介もなく、開口一番、
顧問 『貴方、ほんとうに欝なの?!』

少々面食らいましたが、
私 『・・・そのように診断書をいただいています』

顧問 『社内では、(ボージョレ猫さんは本当に病気なんですか?)って聞いてくる人がたくさんいるんだよ?皆、貴方が仮病だろうって疑っているんだよ?』

私 『私が体調を崩したことは、社長や人事部長や関係者の皆さんすべてにお話してあります。診断書も提出しました』

顧問 『じゃあなんで昨日出社してきたの?』

私 『私物を置き忘れていたので取りに行ったのと、念のために緊急連絡が来ていないかのメールチェックをしました。
万が一緊急案件が入ったとき、対応が遅れてお客様や皆さんにご迷惑をかけてはいけないと思いましたので、メールをチェックしました。
上長と引継ぎや打ち合わせをすることができませんでしたので、何かあってもこちらで対応するしかありませんので』

顧問 『貴方ね、屁理屈ばかり言ってるんじゃないよ!自分だけのんびり1ヶ月も有給使って休んで、他の人がどう思うか考えたことあるの?』

私 『診断書と産業医の先生のアドバイスでは、休むようにとのことでしたので、それに従いました。皆さんにも事前にお話して了解していただいていると認識しています。休職扱いは出来ないので有給を使うようにと言われました』

安全衛生係 『(慌てて)いや、傷病休職扱いにしたらボージョレ猫さんの査定や評価に響くから、それを少なくするために、特別に有給で休むことにしてもらったんですよ。
傷病で休職になった時の査定は最低ランクになるからね、そこを配慮したんだから』

顧問 『まあそこはわかったから。ボージョレ猫さんね、貴方、自分が一生懸命働いているときに隣の人が病気って言って有給で休んだら、どんな気分?
サボってるくせに給料貰うなんておかしいとは思わないの?』

私 『そんなこと思いません。ゆっくり養生して早く元気になって欲しいと思います』

顧問 『あのね、そんな甘いこと、社会では通用しないの。貴方みたいに考える人は、普通いないの。
普通の人なら、みんなが働いてるときに自分だけ病気になって申し訳ないって思うんだよ。それが社会人なの。貴方みたいに病気だからって開き直る人は、普通いないの。
よくそんな甘ったれた考えで今までやってこれたね?』

私 『誰だって一回くらいは病気になると思います・・・病気になりたくてなる人はいないのではないでしょうか?』

顧問 『ほらまた屁理屈だ。それは甘えなの。貴方は病気をいいことに有給を使いまくって、他の人に迷惑をかけてるんだよ?
メールに返事するのが遅れたら客先に迷惑だとか、そんなことどうだっていいの。
貴方が有給を使うこと自体が、会社にものすごい損害を与えてるの。有給は労働者の権利とか言う人はいるけど、貴方は権利ばっかり主張して社会人としての義務は全然果たしてないじゃない。貴方自分ではそういう認識は全くないでしょ?』

私 『体調を崩したら一旦休んで、コンディションを整えてまた頑張るのが、自分にも周囲にもベストだと思ったのですが』

顧問 『それは貴方の勝手な考えなの。貴方の周りがどう思うかが大事でしょ?貴方ほんとに協調性が無いね。だめだこりゃ、社会人失格というよりも、人間として全然なってないね』

悪いけど、私は”顧問”の話し方に対し、だんだんうんざりしてきました。

私 『では、体調を崩しても休めないということですか?』

顧問 『ほらほら感情的になったよ。貴方ほんとに社会人?
だいたい貴方の話はあちこちに飛ぶし、話してて疲れるんだよね~。
仕事仕事ってえらそうにしてるけど、コミュニケーションスキルなんか全然なってないよね。
今まで何やってきたの?本当に仕事してたの?』

私が”相談室”から解放されたのは、16時近くになってからでした。
重たい石のような疲労感に包まれていたことは、言うまでもありません。

しかしそれ以上に、私は会社のお荷物で社会人としてダメ人間なんだという思いに完全に支配されてしまいました。
今にして思えば、社外の”専門家”を利用した見事なマインドコントロールなのですが、そのときは自分に対して情けなく悔しく、もう死ぬしかないのだと思いました。

会社のトイレには首を吊るのに最適な場所は見つかりません。せいぜい手首を切るくらいかな?
吊るんだったら、やっぱり自宅がいいのかも。
それか、泥酔して車ごと崖から転落?でも事故処理が大変かも。
やっぱり会社で死んだほうがいいかな?
死んだら社長とか”カウンセラー”が何を言おうと聞こえないのだし。

そう思う反面、カウンセラーの話に強い違和感を覚えていました。
カウンセラーが、というよりも、会社が彼を使って会社の見解を私に投げかけているのではないか・・・との考えもよぎりました。
そう考えるのは、自分の精神状態がおかしくなったゆえの、被害妄想なのかもしれません。
しかし、会社に対し、強いクエスチョンマークを感じたのは確かです。

とは言え、そう思いながらも、会社はそんなこと考える筈はない、あれはカウンセラーの点数稼ぎのためのパフォーマンスであって、こちらが乗せられる必要なんかないんだ・・・とも考えました。

会社はそんな変なことは言わないと信じていいのか、それとも、もう鬱病社員なんか要らない、と会社は考えたけど自分で言ったら面倒だからカウンセラーに言わせているのか・・・

そういう思いを頭の中でぐるぐる回しながら、自宅へ戻りました。

産業医には止められてはいたのですが、コンビニで酒を買うことも忘れませんでした。


休職中の不安
Fri.03.12.2010 Posted in 欝の顛末
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有給を使って、一ヶ月休むことになりました。
安全衛生係には、休み中は仕事などしないように、と強く言い渡されました。

特にやることは何も無く、ネットカフェで漫画を読んだり街をぶらぶらしたり、眠ったりしていました。

ずっと以前にわが社で働いていた年上の友人とも会って話したのですが、
『うつになる奴って、甘えてるだけだろ?あんた、だらしないとは思わんのかね?』
とお説教されただけでした。

休む前、%田さんとは、今後の進め方や休み中の引継ぎについて話をしたかったのですが、なぜか人事部長がそれを禁止してしまいました。
%田さんからも、まったく音沙汰無しでした。

休んでいる間、取引先からのメールが気になっていました。

%田さんはあと数年で定年、パソコンやメールには疎いタイプです。
仕事のメールが来ても、当然、%田さんはノータッチ、私が処理しないといけないのです。
取引先には私が1ヶ月休むことはよく伝えたのですが、もしも緊急案件が来たら・・・と、たまらなく不安になりました。

『緊急時なのに担当者が1ヶ月も休むのはおかしい!』とクレームが来たら・・・?
それが原因で、社長からまた”連絡会”で吊るし上げられたら・・・?
今度は『汚い』とか『何様?』じゃ済まないだろう。
会議室の中で出席メンバーがいる中で、殴ったり蹴ったりされる光景が目に浮かび、たまらなく不安になりました。


実は、私は衆人環視の中で怒鳴られることに非常な恐怖感があります。
中学2年生のときにイジメられたことが影響しているのだと思います。

あの時は、確か学級会の時でした。クラス全員がいる中で、弁当箱や上履きなどを投げつけられ、顔に軽い怪我をしました。
両親と先生に訴えましたが、どちらも『イジメられる側に問題がある』という意見でした。
人間の世界にはイジメは付き物で、イジメられる側は要領が悪くて周囲をイライラさせるからイジメられる。
弱い者や標準と違っている者は、必ずイジメられる。理不尽だけどそれが人間社会だと。

未だに子供の頃の思い出を引きずっているようで恥ずかしいのですが、どうしても学級会の光景が繰り返し目に浮かんでくるのです。
社長は、あのときイジメを主導していた同級生に雰囲気がよく似ています。
ですから、正直に言うと、彼が不機嫌なときなどは恐怖に感じることもあったのでした。


さて、メールの不安は募る一方でした。
よくよく考えてみれば、私は有給を使って休んでいて、会社から休職命令を受けたわけではないのです。

”・・・自分の権利を使って”自主的に休んだ”という扱いになっているし、万が一取引先に迷惑をかけたら社内の皆にも社長にも迷惑なので、少しくらいならメールチェックしてもいいよね?
そうそう、そういえばメモ帳も会社のデスクの中に忘れてたしそれを取りに行かなきゃいけないって思ってたし・・・”

そう考えて、夕方6時頃にこっそり会社へ行ってメモ帳を取り、軽くメールチェックしました。
幸い、何も問題は起きていないようでした。

安心して自宅へ戻りました。
産業医
Wed.01.12.2010 Posted in 心療内科
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ストーリーは前後しますが、初めてかかった心療内科のことを少し書きます。

安全衛生係に言われ、産業医のところへ行きました。
この病院は、心療内科のほかに、内科や胃腸科、外科の看板を出していますので、近所のお年寄りで待合室は満員でした。

お年寄りの中に混じって、作業服姿の人や、白いダブダブのジャージの上下に身を包んで足を投げ出した、見るからに事情がありそうな人々もいました。
病院の建物は古く、窓が無くて薄暗い感じです。
それらがあいまって、決して良い雰囲気とは言えませんでした。

予約制ではないので、2時間ほど待たされてやっと順番が回ってきました。

事前に話が行っていたのか、
「疲れがたたって風邪こじらせたわけね~。あと、精神的にも不安が強いわけね。じゃあ、普通に1ヶ月休めるよう、診断書には”うつ状態”って書いとくから。薬もそれ関係のを出しておきますねー。2週間経ったらまた来てね、はいお大事に」

先生が顔を上げて私を見ることは一度もありませんでした。

どこかを検査することもなく、こちらの話を聞くことも無く、診療は5分程度で終わりました。
出された薬は、
「緊張を和らげて気持ちをラクにする薬」
「気持ちを持ち上げる薬」
「寝つきを良くする薬」
の3種類でした。
「気持ちを持ち上げる薬(パキシル)」がけっこう高価だったようで、薬代だけで2000円は軽く超えました。

このとき、生まれて初めて抗うつ薬を飲むことになりました。

このパキシルという薬、デメリットは高価なだけではありませんでした。
後々パキシルに苦しめられることになるとは、そのときには全く想像もしていませんでした。

ところで、鬱病になったことは、2010年12月1日の今現在も、両親には隠しています。
そんなことを両親が知れば・・・

絶縁は間違いないと確信しています。

”そんなキ●●イなんか生んだ覚えは無い!”
”世間体が悪い!自分らに恥をかかせる気か!?”
と、取り乱すのは目に見えています。

今は21世紀なんて言っても、欝は心の風邪なんて言っても、田舎の年寄りに過ぎない彼らにとっては、そんなものは関係ありません。
未だに「精神疾患=社会不適応者=一家の恥=隔離=勘当」という思考に囚われています。
それを世間では偏見というのですが、彼らは自分の価値観が絶対なのです。

私にとって、自分が鬱病にかかった事実は、おそらく墓場まで持っていく話の一つになるでしょう。

鬱病持ちは会社を滅ぼす?
Mon.29.11.2010 Posted in 欝の顛末
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早退した日の翌日は一日休み、翌々日に出社しました。
風邪の具合は大幅に改善しているとは言えないのですが、アシスタントもいない一人親方なので、仕事が溜まっているはずです。
その日の”連絡会”は少し雰囲気が違いました。

会が終わった後、社長に呼び出されました。
社長 『風邪を引いたくらいで休むの?あんた何様?俺をナメてるの?』
私 『風邪がひどくて、皆さんに伝染したら確かに大変だし、あの状態では通常のペースで業務が出来るとは思えませんでした・・・』
社長 『あんた、頭おかしいだろ?休みたければ勝手に好きなだけ休めば?』

数時間後、社内掲示板に告知文が貼り出されました。

-- 組織改変のお知らせ :  
ボージョレ猫は **部 部長心得を解任する  
社長は **部の管理監督者を外れ、%田&吉を新たに**部 部長に任命する --

新しく私の上司となった%田さんは60歳過ぎの男性。
昨日までは品質保証調整室(?)にいて、こちらの業務については全くの未経験者でした。


夕方、安全衛生係がやってきました。
『終業時間になったら産業医のところへ行って。体調が悪いんでしょう?先生に診てもらったほうがいいから』

産業医のところで出た診断は、
”鬱病につき3ヶ月の休職を命ず”。


病院から一旦会社に戻ると、安全衛生係が診断書を見せて、と言ってきました。
渡すとそれをしげしげと見つめて言いました。

安全衛生係 『3ヶ月休むのは、無理だね。前例が無いし』
私 『はい、自分もそう思います、仕事に支障が出るので』
安全衛生係 『休むのならせいぜい1ヶ月だね。あと、傷病での休職は認めないから、有給使って』
私 『診断書はどこに提出すれば・・・?』
安全衛生係 『まだ%田さん来てないから、社長に渡して』

診断書を持って社長のデスクへ行きました。

私 『社長、産業医の先生に貰った診断書を提出します』
社長 『俺そんなもの見たくないから』
私 『安全衛生室からは、社長に提出するようにと・・』
社長 『俺関係ないから。提出したかったら人事にでも出して』

それっきり、社長は顔も上げませんでした。

診断書を持ったまま、もう一度人事部へ。

安全衛生係 『あれ?社長に受理してもらうようにって言ったよね?』
私 『いえ、社長は、人事に提出するようにと・・・』
安全衛生係 『あぁ、そういうこと。じゃあこっちで預かっておきます』
私 『よろしくお願いします』

そのまま立ち去ろうとしたら、安全衛生係に呼び止められました。

安全衛生係 『ちょっと待ちなよ』
私 『はい?』
安全衛生係 『ボージョレ猫さんの部署の管理者は%田さんになったでしょ?それって、結果的には貴方が社長を追い出したことになったんだよ?』
私 『・・・は?』
安全衛生係 『は、じゃないって。社長も本当は管理者を続けたかったんだけど、貴方のせいで降りなければならなくなったんだよ?その辺、わかってる?』

・・・・???

私 『それって、その人事って、社長がご自身で決められたことなのでは?』
安全衛生係 『だから、貴方がそうさせたんだって。貴方が社長を追い出したの。そこは反省するところでしょう?』

私は既に、精神に異常を来たしていたのですね。
安全衛生係の言っている意味がわかりませんでした。

私は、疲れが溜まって体調を崩したので、少し長く休みなさい、ということになっただけだと認識していました。
普通の人が、入院して1ヶ月休むのと同じことだと考えていました。
しかし私の場合は、単にそれだけで済む問題ではなかったのですね・・
そこまでは考えが至らなかった私はKYです。

わが社で働いている以上、体調を崩して1ヶ月休むということは、社内で組織改変や人事異動を起こさせ、誰かが(社長が)不本意な異動をしなければいけない事態にまで至ることを意味していたのです。

以前、胃潰瘍やケガで入院した人が何人かいましたが、彼らのケースでは人事異動や組織改変が行われたとは聞いたことがありません。
彼らは普通の傷病だったけど、私の場合は鬱病だから・・・?

そうですよね。
鬱病ってそういう病気なのですよね。
鬱病になった人間は、周囲の人間を苛立たせ、会社の機能を破壊してしまう。
インフルエンザや感染症よりも深刻な病気だったのですね。

”欝は心の風邪。誰でもかかる可能性がある”
”慢性的に疲労が溜まっていると欝になりやすい”
”鬱病になるサラリーマンが増えているため、多くの企業は社員のための休職・復職プログラムを導入し、メンタルヘルスへの取り組みを行っている”

私はサラリーマンの鬱病について、ネットである程度情報を調べたりしていました。
しかしそれらは全て、遠い世界のこと、現実にはあり得ないことだと知りました。




壊れた
Fri.26.11.2010 Posted in 欝の顛末
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研修生たちは、ケガや病気や事故もなく、元気に帰っていきました。
彼らを見送った後、私はひどい風邪を引いてしまいました。
明らかに疲れから来るものでしょう。

しかし、
『ちょっと深夜残業が続いたくらいで風邪を引くなんて、自分はたるんでいる。自分は弱すぎる。
うちの会社はゆるい。大企業はもっと(以下略)』
思考で出社、普通に業務をこなしていました。

何より、研修生がいた頃よりも早く帰れるし、土日も自分の時間が取れることは嬉しいと思いました。
ゆっくり体を休めて、早く風邪を治そうと思いました。

しかし風邪はなかなか治りません。
とうとう、咳が止まらなくなりました。
特に”連絡会”の出席メンバーにはタバコを吸う人がいますので、会議中の咳は更にひどくなる一方でした。

そして。

『風邪引いてるんだったら俺のそばに寄るな!伝染るだろうが!汚い!!』
例によって「連絡会」で社長に叱責されました。もちろん、皆の前です。

灰皿が飛ばないだけ良かったと思うべきなのでしょう。
私は会議が終わった後、トイレで大量に吐きました。
熱は特に無いし、血を吐かなかったので、たぶん大したことはないのです。
涙を拭いて、仕事に戻ろうと思えば戻れたのです。

しかし私は、病院に行ってそのまま帰宅したくなりました。

もう一人の自分としばらく葛藤しました。
自分A 『もうダメ、体がついていかない。それに頑張って働いてきたのに、社長にあそこまで言われて、もう自分はダメなんだ、もう何もできない』
自分B 『たかが咳がひどいくらいどうってことないはずだ。お前はたるんでる。お前は怠け者だ。仕事に戻れ。今日は少し早く帰ればいいだろう』
自分A 『でも机に戻ったら今度は何て言われるかわからない。怖い。一人になりたい』
自分B 『社長だって口が滑っただけだ。ちょっとイライラしてただけだろう。お前が勝手に怖がってるだけだ。イライラの原因はきっとお前にあるんだ。でもなぜなのかわかってないだろう?だからお前はダメ社員なんだ』

私はこらえ性のない、わがまま者です。
組織に馴染めない社会不適応者です。
自分Bの言うとおり、踏みとどまったほうが良いのは、頭ではよくわかっています。
でもごめんなさい。もうダメです。
ごめんなさい。私をいくら罵ってもいいです。
ごめんなさい。自分Aに従います。

社長は”連絡会”の後、出張か接待かで不在でした。
人事部長に
『すごく体調が悪いので今日は帰宅していいですか?できれば明日も休ませてください』と尋ねました。
人事部長は、
『わかった。今日明日はゆっくり休みなさい。社長には僕から伝えておくから』と言ってくれました。

しかし後日、自分Aに従ったことを後悔することになったのでした。

過労ハイテンション
Thu.25.11.2010 Posted in 欝の顛末
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そんなある日、取引先の紹介で、バングラデシュから5名の研修生がわが社にやって来ました。
彼らの滞在期間は1ヶ月。
私は、彼らの滞在中のお世話をすることになりました。
社長からは、
『わが社のお客様の紹介なのだから、できるだけ手厚くもてなすように』
との指示がありました。
彼らへの実習指導や簡単な日本語レッスンに加え、毎日の食事の世話、寮~会社間の送迎、休日の観光案内、悩み相談など、細々とした生活の面倒を見ました。

その間、実質的に自分の仕事ができるのは、彼らに夕食を食べさせて寮に送り届けた後でした。
だいたい夜9時から始め、一段落するのは深夜の1時頃でした。
そして2時頃に自宅に帰ってシャワーを浴び3時頃に仮眠。
朝は6時に起き、研修生の寮へ出向き、彼らの朝食の準備をして彼らとともに出社する毎日でした。

できれば土曜日と日曜日の日中にも仕事を片付け、平日はせめて12時頃に退社したいと思いました。
ですが、土日は欠かさず彼らを買い物や観光地に連れて行くようにと指示されていましたので、やはり土日の日中も仕事のためのまとまった時間が取れず、結局深夜まで仕事をしていました。

寝る時間以外は彼らと一緒、それ自体は全く構いません。
彼らが日本の技術を学んで、日本を好きになって帰ってくれれば、それだけでもやりがいがあって嬉しいものです。

ですが、そのときは運悪く、まったく体調が良くない状態でした。
『ウチの会社はゆるい。大企業だったらもっときつい。
自分は仕事が捌けないのに、ラクをしている。
このくらいの仕事もこなせなかったら、自分の行き場所は無い。
社長や役員たちに嫌われる。
もうどこでも雇ってもらえない』
毎日自分にそう言い聞かせながら、何とかこなしていました。

不思議なことに、体がきつい時に長時間労働をすればするほど、逆に疲労感が消えてしまうように思えました。
頭もすっきりして、徹夜だってOK!という状態になっていきました。
今にして思えば、疲労を意識しないように潜在意識が勝手に脳を麻痺させていたのかもしれません。

有給取得は大罪
Wed.24.11.2010 Posted in 欝の顛末
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10年前、私の部署には部長を含め4名が在籍していたのですが、1年以内に誰もいなくなりました。
皆、なぜか同じ年にバタバタと辞めていったのでした。
一人取り残された私は、「名ばかり管理職」としてその部署を一人でマネジメントすることになりました。
それから約6年間、月に平均2週間ほどの出張と、日付が変わる時刻までの残業に明け暮れた日々が続きました。

体の不調が出てきたのは、4年前でした。
突然、めまいがしてものすごく気分が悪くなり、点滴。
慢性的な貧血と頭痛、吐き気。
不眠。やっと寝入っても早朝の3時か4時に目が覚め、その日一日はかなりきつい。
風邪を引いたら、2ヶ月経っても治らない。
毎日、朝~午前中にかけてのどんよりとした疲労感。

今思えば、いいかげん休んでよ、と体がSOSを発していたのでしょうか。

ある日、仕事が一段落した時期を見計らい、少し休んでリフレッシュしようと、2~3日ほど有給を取ることにしました。
申請のとき、社長は快くハンコを押してくれました。

休みが終わって出社した後、管理職用の回覧資料の末尾に、
『ボージョレ猫氏に告ぐ。貴方が有給を取ったおかげで周囲は迷惑した。反省してほしい』

・・・ハァ??

この告知文を書いて回覧したのは、有給届けにハンコを押した当の本人である社長でした。
迷惑といっても、具体的にどう迷惑だったのかは書かれていませんでした。
有給届けを出した前後、私は休暇中はどんな事態が起こっても対処可能なようにしていましたし、そのことをきちんと社長にも説明し、彼も納得して了解してくれたのです。

そもそも有給を取ったことが、『後で』問題になるのもおかしい。
全く関係の無い業務用の回覧資料にわざわざ皆に見えるように「有給取得は迷惑」と書き込んであるのも腑に落ちない。

社長には、
「私の留守中には、何も問題は生じなかったこと」
「(有給届け提出時にもお話したとおり)緊急時には電話やメールなどで連絡を取れる体制をきちんと構築していたこと」
「有給取得を認めていただいたのは社長であり、ほんとうに迷惑がかかるようであれば、ハンコを押す前に話していただきたかった」ことを、再度説明しました。
社長の話では、私の不在中に他の役員が「なんでボージョレ猫が有給なんか取っているんだ!?」と騒いだのだそうですが・・

しかしそれからというもの、不調があっても有給をとり辛くなってしまい、休暇でリフレッシュどころか、ストレスでますます体調は悪くなる一方でした。


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はじめに
Mon.22.11.2010 Posted in はじめに
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私はうつ病と診断され、社内失業者になってしまいました。
それが原因で社内でもいろいろあり、かなり苦しみました。

しかし、「働くことって何?」「日本の労働環境って普通?」と考えることができました。
サラリーマンに増えているうつ病や、働くことについての考え方などについて、未熟ですが淡々と日々の思いを綴りたいと考えて、このブログを開設しました。

つたない文章ですが、どうぞよろしくお願いいたします。


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